50.【学問は楽しいものだ】 『大学の話をしましょうか―最高学府のデバイスとポテンシャル』 森 博嗣 中公新書ラクレ


大学の話をしましょうか―最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)
大学の話をしましょうか―最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)森 博嗣

中央公論新社 2005-10
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目次

第1章 学生論―学生について話しましょう
(最近の若者 ビリにならなければ良い社会 働かない選択 ほか)
第2章 大学論―大学って何でしょうね
(僕にとっての「大学」 大学の先生は働き者です 助手でいたかった ほか)
第3章 研究者・教育者・作家―僕の話もするのですか?
(いかにして作家になったか 作文は苦手でした 退職後の準備 ほか)

参考になった箇所

  • 僕がひとつだけいえることは、素直に考える。自然に考える。ということでしょうか。人の意見、マスコミの報道、他人に対する意地、過去の例、経緯、貸し借り、そういった雑音を排除して、自分が見たもの、自分が触れたものをデータとして、単純に割り出す。その答えを信じることです。
  • 勉強して、エリートになって、高賃金を稼ぐ、という目標よりも、これからは、勉強自体が楽しいことだ、というふうに教えないといけないと思います。
  • 自分のためではなく、他人が望んでいることを分担する、という気持ちがあれば、その人は社会性を持っているわけで、この世の中ではきっとうまく生きていけるでしょう。仕事をするかしないかよりも、その社会性の方がずっと重要だと考えます。
  • 人間の力とは、つまり、うっすらとした情報をいかに的確に思い出せるか、ということに尽きます。情報の正確さよりも、関連するなにかを、できるだけ速く、そして多く思い浮かべられるか、ということなのですね。
  • 人間の知的能力は、問題に答えることではなく、問題を見つけることである、というのが僕の考えです。
  • 大学にいるときには、(中略)是非、広くいろいろな分野に触れてほしいと思います。自分に投資をする、ということです。きっと歳をとってからそれが役に立つでしょう。直接知識が役に立つ、という意味ではありません。発想が違ってくる、ということです。
  • どの人物が、あるいはその集団が、今どこに注目しているか、何を見ようとしているか、という「姿勢」は、なんとなく直感的にも伝わってくるものであるし、また、それによって、その人間、あるいは組織が評価されることも多い。ときには、これまでに何をしてきたのか、ということよりも重要となる。
  • どんな文章でも訓練になります。ただ、他人が読むということを意識した文章でなければなりません。自分に対するメモでは意味がないのです。
  • 学問をするのは、何のためでもありません。個人個人が楽しむ、ということなのです。(中略)でも、それこそが、豊かであることだと僕は思います。
  • Q.森先生は、人生に対して確固たる設計をなさっているようにお見受けできますが、具体的に、今後どのような計画をお持ちでしょうか?

A.いえ、そんな設計はあまりしていませんよ。(中略)きっちりと設計図を引いてしまったら、そのとおりに進まなくてはなりませんから、もう楽しめない、苦しいことばかりになるように思います。
ただ、ぼんやりと、自由に過ごしたい、こんな雰囲気を味わいたい、というような抽象的なイメージは持つべきです。具体的にではなくて。

  • 忙しいことは、みっともない恥ずかしいことだと認識しているので、出来るだけ忙しくないように改善したいと思います。

読んで思ったこと

もっと大学の時に勉強しておけばよかった。


そんなことを社会人になり4年目に突入した今、切実に感じるようになりました。


単純に勉強してなかったからスキルが身についてない、という意味でもあります。しかし、それ以上に勉強って楽しかったんですね。


高校までの勉強はいかに暗記できるか、という点のみを求められてました。受ける科目も選択の余地はほとんどないので、そりゃおもしろくなかった。


それが、大学に入るとぜんぜん違いました。


自分のやりたいことを自由に選び、学べる。しかも、自分で調べ、自分でまとめ、レポートという形あるものにできる。卒論も経済労働学のゼミだったのにもかかわらず、テーマは出版業界の凋落についてでした。よく許可してくれたもんだ。


ところが、鈍い私はその楽しさに気づけませんでした。バイトとか飲み会とかビリヤードとかカラオケに夢中で。それらも楽しかったんですが、今でも出来るし、何より楽しさの次元が違いました。


うまいこと言えないんですが、テーマと自分が調べた内容と自分で考えた結論がカチッとはまるときの快感って大きい。創造の楽しさというか。にも関わらず、気軽に快感を得られる方に流れてしまった。


流れたまま気がついたらここまできたんですが、NHKの爆笑問題のニッポンの教養を観たり、今回の本を読んだりしてると、勉強の楽しさを思い出してしまう。思い出しながらこのブログで代償行為をしています。