本当に考えたの?―MORI LOG ACADEMY

多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。否、たとえ考えようとするだけでも、100時間くらい考えようとしていれば、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう。きっと具体的な案がいくつか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。
 沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。


私も完全に「多くの人」と同じように「考え」ていた。
個人的によくあるのが、ある問題に対してどうしようか考えてるつもりが、
「どうしよう」と頭の中で反芻してるだけ、というパターン。
始末が悪いことに、それでも考えてるつもりになってしまう。


結局は何も具体的なアウトプットがないのなら、
それは何も考えていないのと同じことだ。
具体案を出すこと、具体的に動くこと、が目的なんだから。


どんな些細でつまらないことでもいいから、アウトプットが必要なんだと思う。
そこから何らかの反応があって、やっと何かが動き始めるのだ。


だから、こんなブログを書いている。