[ウェブ時代] 30.『ウェブ人間論』梅田 望夫 平野 啓一郎  新潮社


ウェブ人間論 (新潮新書)ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎

新潮社 2006-12-14
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この本を選んだ理由


ウェブ時代における人間のあり方の変化についてのヒントを得たかったから


参考になった箇所

  • テクノロジーの進歩は人間の本質を変えることは出来ない、(中略)という考えを表明する人が、特に保守的な思想の持ち主の中に見受けられますが、やっぱり、変わるでしょう。(中略)テクノロジーが発展すれば人間の生活の条件は大いに変わるし、人間自体も劇的に変容するでしょうね。(平野氏)
  • オープンソースの原動力って、結局そういう個々の承認感動にあると思います。(梅田氏)
  • 自分の見解を自由に話して、あの人はこういう人間だというのを相手から承認されるなら、別に彼らは家に帰ってわざわざブログに書くことなんてないんじゃないかという気がしたんです。(平野氏)
  • ネット世界での活動も、それを有効にしようとするなら、リアル世界での活動の一助という位置づけで理解すべきなんですかね?(平野氏)
  • ネットが大きく増幅できるのは知能や情報の部分です。だからこそ逆に、人の魅力が何から来るかということを考えることが、結構大事なことだと思う。(中略)その魅力の源泉の一つに、さっきの教養の核というか広義の頭の良さがありますが、そこに体つきと顔とか表情とか雰囲気とか、要するにネットで増幅できない要素群があって、(中略)その魅力の総体が幸せに暮らしていける条件になっていく。(梅田氏)
  • 自分にとって心地よい空間を、無限性から切り取っていくらでも作れるのだから、そういう方向へ人間は変容していく。(梅田氏)
  • そうした中で、人がただ自分のことしか考えなくなってしまう、自分にとって心地よいことにしか関わり合わなくなるという危惧は、やっぱりありますけど。(平野氏)
  • 例えば、ナショナリズムなんかが、ボコッとその島宇宙を束ねてしまったりするんですよね。(中略)久しく遠ざかっていた大きな物語が、何か救世主のように到来したときに、簡単にやられてしまう可能性はありますね。(平野氏)

読んで思ったこと


すべての分野において細分化が止まらない現代において、
個々の志向や趣味が承認されるのは難しくなっている。


もちろん、誰にでも共通の認識や知識はあるので、会話は出来る。
しかし、それが少しでも深い話になると、
持っている知識にずれが生じ、会話が滞る。


そのため、どうしても会話は薄っぺらになりがちである。
よほどお互いのことを知らなければ、
志向や趣味の詳しい話はしづらい。


ただ、志向や趣味というのは
人の個性の根幹の部分だと思うので、
そのあたりの会話ができないと、相互理解は進まない。
お互いどんな人間なのかわからないで付き合うのはきつい。


だから、リアル世界の人間関係はストレスがたまることが多い。


そこでネットの出番になる。


ネット人口は世界で10億人を超えていて、
その誰とでも時空を超えてつながる可能性はある。
どんなにマニアックな趣味でも、
どんなに偏った志向でも、
10億人の中にもう一人くらいは理解してくれる人がいるだろう。


リアル世界でなかなか承認されない分、
承認された時の嬉しさは格別だと思う。
だから、ネットの「島宇宙」は魅力的なんだろう。


しかし、そこで「自分のことしか考えなくなって」しまい、
ネット世界に依存してしまう危険はある。
あくまでも、リアル世界がメインなんだから。


では、どうすべきかというと、
リアル世界とネット世界のバランスとの
バランスに気をつけるという当たり前な結論になる。


そのためにも教養や品性などの
人としてベーシックな部分を大事にする必要がある。
そこがしっかりしていれば、
リアル世界でもネット世界でもうまく立ち回れるから。


そんなことを考えた。